日経Technology Onlineに「スーパーハイビジョン仕様を満たす、広色域の世界が目前に、–日本のものづくりの頂点を極めるレーザーバックライト、コモディティー化する量子ドット ~IDW ’15報告~ 」をレポートしました。
http://techon.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/122301687/
<内容>
アジア最大級のディスプレー国際会議「22th International Display Workshops(IDW ’15)」では、2018年から始まる8K放送の重要な要素である広色域化の実現に対して、様々な視点からの発表と議論があった。8Kテレビで規定される広色域放送を目の当たりにするのは時間の問題だと感じた。なお、8Kテレビについては、2018年に放送を計画しているNHKが「スーパーハイビジョン」という愛称を付けており、本稿ではこの愛称を用いる(8Kテレビの国際規格の名称はRec.ITU-R BT.2020)。
広色域化の競争では、2年ほど前から注目を浴びた量子ドットだけではなく、レーザー光源や、蛍光材料を改善した高演色LEDも加わり、激しい色域拡大競争を繰り広げている。スーパーハイビジョンが本格運用されるときに、どの技術が主流になっているかは、今まさに予断を許さない緊迫した状況にあると言っても良いだろう。
今回、一連の技術講演を聴いた後で、改めて今回の会議初日の特別講演に登壇した名古屋大学教授の天野浩氏の青色LEDの開発にまつわる内容(関連記事)を振り返ってみると、LEDが今後のディスプレーの性能向上のカギを握る重要なデバイスであると感じた。
様々なワークショップに広がる広色域の講演
今年のIDWは、14のワークショップ(様々な分野のテーマ)から構成された。代表的なワークショップとしては、有機EL技術にフォーカスした「OLED」、液晶技術にフォーカスした「LCT」、バックプレーン技術にフォーカスした「AMD」、フレキシブル技術にフォーカスした「FLX」、製造技術や部品・材料技術にフォーカスした「FMC」などがある。ディスプレー技術は幅広く、これまでにも筆者は、毎回幾つかのワークショップをハシゴしながら聴講してきた。
今年は、「広色域化」に関してプログラムをチェックしながら3日間の聴講をしたところ、結果的に図1のように多くのセッション(ワークショップ)を渡り歩くことになってしまった。最近は、話題のテーマはできるだけ被らないように「Special topics of Interest」としてまとめるなど、プログラム委員会は調整を図っている。しかし、この1~2年で急速に注目を集めるようになった「広色域」という視点で見ると、様々なセッションで関連する内容が出てきた。ディスプレーの重要な技術として根付いていく兆候といえるだろう。
図2に、今回筆者が聴講した「広色域」に関する発表を整理した。完全に被っていて聴けなかった発表も含んでおり、一部に講演者への事後確認なども含んでいる。「広色域」を実現する手段としては、液晶ディスプレーに量子ドットを適用したもの、およびバックライト光源にレーザーや高演色LEDを用いた方法がある。さらには、有機ELの代替であるQLEDに関しても広色域の発表があった。また、「広色域の評価」に関する内容や、「量子ドット材料」そのものに関する発表もあった。一方、有機EL関連では、「広色域」に関連する内容は、ほとんど無かった。
広色域の議論、まず測定基準を固めることが重要
今回のIDWで最初に聴いた講演内容が、ディスプレーの広色域の議論の土台となる色度図の評価についてであった。NHKによる発表(論文番号:VHF1-1)では、広色域の議論の中で多くの人が用いている「CIE 1931 x-y」と「CIE 1976 u’-v’」の2つの色度図に関して、ITU-R BT.2020に基づくスーパーハイビジョンの議論では「どちらが適切か」という検討内容であった。
これまで業界内では、x-yを改善したu’-v’の方が視覚的なイメージに近いと信じられていた。しかし、NHKは今回の発表で、BT.2020の色域に対するカバー率を議論する際にはu’-v’よりもx-yの方が相関性が高いと結論づけた。今後のスーパーハイビジョンの色域の議論では、x-y色度図の使用を推奨している。
市場への浸透とCdフリー化の努力が続く量子ドット
量子ドットを液晶ディスプレーに用いて広色域化の数値を協調していたのは、米QD Vision社(論文番号:MEET1-1)と米3M社(講演番号:MEET5-3)である。QD Vision社は、オンエッジ型の量子ドット管を用いてBT.2020の97%色域が得られること、および中国テレビメーカーを中心にした採用実績を披露した。3M社は、今回初めてCdフリーの量子ドットのデータを示した。しかし、従来のCdSeの量子ドットではBT.2020の92%の色域と外部量子効率87%が得られているのに対して、CdフリーのInP量子ドットでは、色域はBT.2020の86.5%が得られるものの、外部量子効率はまだ58%にとどまっている。
ドイツMerck社(論文番号:MEET1-3およびPH3-2)は、球状のコアと棒状のシェルを持つ「量子ロッド」からの発光が偏光性を持つことを利用し、エレクトロスピニング法で作製した量子ドットシートで偏光度65%の発光を得た。偏光度の向上と具体的な応用例の開発が今後の課題である。
日本のものづくりを象徴するレーザーバックライト
BT.2020の色域を完全にカバーする技術として、鋭い発光ピークを持つレーザーが最有力候補であることは万人が認めるところである。今回、三菱電機(論文番号:PRJ5-1)とパナソニック液晶ディスプレイ(論文番号:LCT1-1)の日本の2社が、RGBの3色のレーザー光源を用いたバックライトを使い、BT.2020の色域をほぼカバーする数値を公表した。色域の値は、三菱電機の発表ではBT.2020で98%、パナソニック液晶の発表では同98.6%である。
パナソニック液晶は、2015年6月の学会「SID 2015」で発表した55型8Kの120Hz駆動IPS液晶パネルで示したDCI/Adobe RGB比100%およびBT.2020比82%の色域(関連記事)をさらに広げてみせた。レーザー光源とカラーフィルターの最適化によって、BT.2020をほぼカバーする値を実現している。
量子ドットを使う広色域化の場合には、量子ドットフィルムあるいは量子ドット管を購入して組み込めば、簡単に広色域なディスプレーが実現できてしまう。これに対して、レーザーバックライト光源を実現するのは、そう簡単ではない。光源のレーザーがまだ開発途上であることに加えて、点光源から発せられるレーザー光を平面表示のディスプレーの光源として使うために、導光板にも様々な工夫をする必要がある。また、色域を最大限に高めるためには、カラーフィルターの最適化設計も必要となる。
BT.2020の色域を100%満たすためには、ディスプレーシステム全体の開発力が必要になる。今回のパナソニック液晶の発表を聴き、55型8Kという超高精細なIPS液晶パネルとBT.2020の広色域を組み合わせた最高仕様のディスプレーを実現した内容に「日本のものづくりの強さ」を見た思いがした。
間隙を縫って市場拡大、高演色の蛍光材料
量子ドットとレーザーが広色域化の最高峰を狙って競い合っているのを横目に、着実な進化を遂げているのが蛍光材料である。シャープ(論文番号:PH1-4L)は、蛍光材料「Sharp β-sialon:Eu+K2SiF6:Mn」を用いた高演色LEDでNTSC(1976)比107%を実現するとともに、高演色用の蛍光材料と一般的な「Sharp β-sialon+CaAlSiN3」を使用した場合に比べて、明るさが2割近く上昇する結果を示した。広色域だけでなく高い発光効率で電力効率を高めた内容は、液晶ディスプレーの進化の中でも特筆に値する。
同社はこの実物をオーサーズインタビューだけでなく、今回のIDWのイベントの目玉の1つであるイノベーティブ・デモンストレーション・セッションでも展示し、多くの見学者の注目を集めた(図3)。現在の液晶ディスプレーで使われている黄色蛍光体を使った白色LEDに代わって、今後はこのような蛍光体を用いた高演色LEDが急速に市場を拡大していくと予想される。
究極のディスプレーデバイスを狙うQLED
QLEDは、有機EL(OLED)と同様の素子構造を持ち、電気的な励起で量子ドットを発光させるものである。色域は有機ELよりも広い。さらに、印刷法で量子ドット材料を形成することができるため、有機ELに代わる広色域な発光を持つフレキシブルディスプレーなどの実現手段として期待されている。
今回のIDWの発表では、米NanoPhotonica社(論文番号:MEET1-2)や韓国Kyung Hee University(論文番号:MEET1-4)、埼玉大学(論文番号:PH3-1)の発表があった。NanoPhotonica社は、QLEDの積層構造を最適化するとともに、RGBの3色の材料いずれも10%以上の外部量子効率を実現している。BT.2020の約90%のパネルを試作するなど、着実な進歩が伺える。各発表内容からは、量子ドット材料の外部量子効率の急速な向上が見て取れる。2~3年後には有機EL並みの効率を持つ材料を用いた、広色域なフレキシブルディスプレーの試作品が出てくるのではないかと期待される。
広色域化が液晶ディスプレーの進化をさらに後押し
スーパーハイビジョンの重要な要素である、広色域画像の表示の実現に向けた動きが急ピッチで進んでいる。これを実現する手段としては、液晶ディスプレーに、(1)量子ドット、(2)レーザー光源、(3)高演色LEDを適用する3つの方法が有力である。今回の一連の発表を聴いて、どの技術も進歩が速く、スーパーハイビジョンの放送が始まる2018年には、どの技術が採用されていても全く不思議ではないと感じた。これらの技術の中でどの技術が主流となるかは、性能(広色域の数値)だけではなくコストや電力効率などの要素が採用判断の分かれ目になるだろう。図4に、広色域を実現する各技術の現在のポジションを、性能とコストの視点でまとめた。
どの技術が採用されるかのポイントはコストだけではない。表示のための電力効率、Cdなどの環境負荷物質の取り扱い、そしてサプライチェーンの状況などが複雑に絡み合いながら、互いの技術間での駆け引きが続くだろう。
電力効率に関しては、今回の発表の中でシャープの高演色LEDが目を引いた。広色域とともに電力効率も向上したという今回の発表は、これまで液晶ディスプレーが様々な部材の力によって飛躍的な進化を遂げてきたという歴史に、さらなる一歩を刻む優れた技術だと評価できる。広色域化の方向にも大きな影響を与える内容である。
ここ2~3年にわたり注目を浴びてきた量子ドットに関しては、環境負荷物質であるCdの問題が当初から指摘され、議論されてきたが、今回は一旦落ち着いた感もある。その背景には、米国や欧州での安全の議論や認証に対する状況がある。当面は暫定的に使用可能な状況である。しかし、2018年には完全に禁止される可能性もあり、それまでにCdフリーの技術開発が完成できるかも注目のポイントだろう。
一方、量子ドットは、既に世界全体でのサプライチェーンが確立されつつある。特に、中国では着実な販売実績が出始めている。中国国内企業も量子ドットのビジネスに参入し始めており(関連記事)、力ずくで市場が形成されていくという見方もできなくはない。
この3年間、IDWやSIDなどの国際会議での量子ドット関連の発表は着実に増えている。研究者の裾野の広がり、そして産業チェーン構築の速さを見ていると、現在はコストが非常に高く、Cdの問題を抱えるこの技術が、今後急速に普及しコモディティー化する可能性も十分にある。
レーザー光源を使う方式は、前述したように、現状での最高峰の技術であることは多くの人が認めるところだろう。一方、技術的な難易度は高く、必然的にコストも高くなる。日本の技術力の高さを誇るには最高の製品である。それだけに、コモディティー化の中に埋もれてしまうことがないように、これまでのテレビ市場での経験を繰り返すことがないように、差異化された事業戦略が必要になる。
ディスプレイの広色域化に関しては、液晶ディスプレーが、様々なバックライト部材の助けを借りて、スーパーハイビジョン(Rec.ITU-R BT.2020)で規定される広色域放送を実現できるところまでこぎ着けたと、今回の一連の発表内容を聴いて確信できた。一方、有機ELのセッションも覗いてみたが、色域に関する議論はほとんど見かけなかった。現在の有機ELに関しては、「フレキシブル化を実現する」という一点で何とか新しい世界を切り開き、液晶が支配する市場に切り込もうとしているようだ。
IDWの開催前に報道された「米Apple社が2~3年内に、iPhoneに有機ELを採用する」というニュースは会場内でも大きな話題として盛り上がった。表示性能では色域も含めて最高峰のレベルを達成しつつある液晶に対して、Apple社が有機ELの特徴とされる「フレキシブル」や「薄い・軽い」というディスプレー表示以外の特性を生かして、どんな斬新なデザインの製品を出すのか楽しみな状況になってきた。
スマートフォーンの爆発的な普及は、Apple社がIPS液晶という高精細・広視野角で表示性能が優れたディスプレーを採用し、消費者がこのきれいなディスプレー表示の価値を認めたところから始まる。今度は、ディスプレー表示以外の新たな訴求ポイントを生み出し、それを消費者が喜んで受け入れるようになるか。2018年のスーパーハイビジョンの広色域の世界の到来とともに、もう1つの大きな注目点である。